家族行事に込める思い

私が子供の頃は、毎年盆と正月に愛知県のおばあちゃんの家に行くのがイベントでした。

愛知県では、八幡様の夏祭りに行ったり、蒲郡のお寺にお参りに行ったりと、普段遊びに連れて行ってくれない親との数少ない思い出でした。

高校生になり、見渡す限りの田園風景や、真っ青で広い空という田舎の風景を退屈に思い始めてからは、愛知県に帰ることは少なくなりました。

そして、大学に入り、いっちょ前に彼女なんかを作ってからは、帰ることは全くなくなってしまいました。

大学を卒業し、就職して社会人と呼ばれるようになってからは、なぜか夏になると田舎に帰りたくなりました。

もしかしたら、自分のルーツを求めていたのかもしれません。

私にも子供が産まれ、祖母に子供を見せに行くのが、今では夏の大切なイベントになっています。

私が子供の頃に楽しみにしていた夏祭りを、娘が楽しみにしていて、私と同じように詰め放題300円のフライドポテトに真先に向かう様子に、血のつながりの不思議さを感じます。

さて、結婚し子供が産まれた今の我が家族にはもう一つ、冬にイベントがあります。

群馬県に「達磨寺」があるのですが、新年になると、そこに達磨を納め、新しい達磨を買うのです。

途中でご飯を食べたり、藤岡の道の駅で遊んだりする一日、日帰りのイベントです。

お昼ごはんに「源氏家族」という店に入るのが、私にとってはちょっとした楽しみです。

達磨寺は、会社の旅行で初めて行って、存在を知りました。

その時は普通の達磨一つと、妊娠中だった妻のために安産の達磨を買って、産後に母子の健康を報告するために達磨を納めました。

その後、もう一つの達磨を家族で納めたのがきっかけで、私にとっては家族のための大切な時間となっています。

子供のうちは、愛知県に帰るという家族のイベントはとても楽しみで、私にとっては夏がくるのが待ち遠しかったことを思い出します。

車で6時間の道のりで、朝5時出発でも、興奮して眠れなかったです。

今、娘は楽しみにしてくれている家族のイベントでも、いつかは、家族や親よりも、友達や大切な人をとり、家族のイベントはなくなってしまう時が来るのです。

私がそうだったように。

でも私は、こうして家族としてのイベントを作りたいのです。

共通の思い出が、家族を作ると思うからです。

そい思うに至ったのは2つの経験からです。

小学校の頃、仲の良かった友達が転校してしまい、夏休みのような大きな連休がないと遊べなくなってしまったことがありました。

夏休みに、その友達の家に泊まりに行き、夕ご飯をごちそうになっている時に、友達家族の話が時々わからなくなってしまうことがありました。

家族の共通の思い出を話していたのです。

その時は、少しだけ疎外感を感じてしまったのですが、今考えてみればその家族はとても仲が良く、家族が家族としての絆を深めるのは、みんなで一緒の思い出なんじゃないかと思ったのです。

もう一つは、昔見た海外ドラマでした。

「素晴らしき日々」(英: The Wonder Yearsという一話完結のドラマで、主人公”ケビン”の青春時代の思い出を描いたものでした。

その回では、父と兄弟三人で、毎年行っていた”釣りキャンプ”に行くイベントのお話でした。

大人になった”ケビン”とその兄、その二人をいつまでも子供と思っていた父とのすれ違いが、切なく、面白おかしく、巣立っていく子供と最後になってしまったキャンプの思い出が、主人公の中に一番深く思い出として残っている様が、とても私の心に残りました。

いつか家族ができたら、毎年一緒に何かをして、毎年成長する子供を感じたいと、私は思ったのです。

愛知県のおばあちゃん(娘にとってはひいおばあちゃん)の家で、今年も夏祭りや夜の花火を楽しみにしていた娘。

いつもより優しい両親。

もっと大きくなり、田んぼと畑と大きな国道、単線で2両しか無い電車、広くて青い空、おばあちゃんの家、そんな風景を退屈に思う時が来るでしょう。

コンビニへ行くのも、子供の足だと片道30分です。

もし、娘が田舎に帰るのを嫌がったら、それを受け入れようと思っています。

それまでは、みんなで一緒の思い出を作るために、毎年の成長を感じるために、今年も来年も、おばあちゃんの家に帰るのです。

そしていつかその思い出を、家族で語り合いたいのです。

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